漆器の歴史を知ろう!世界に誇る日本の漆文化

漆器の歴史を知ろう!世界に誇る日本の漆文化

私たち日本人が、当たり前のように使っている「漆器」。日本を代表する伝統工芸品として有名な産地も多く、来歴を詳しく見ていくと100年、200年前からあるものが山のように出てきます。ですが、漆器が工芸品として完成されるより前の時代から存在していたことを、皆さんは知っていましたか?
今回は、知っておきたい「漆器の歴史」についてお話していきます。

アジアの文化を支えてきた漆

<h2>アジアの文化を支えてきた漆</h2>

身近にありすぎて、特別でもなんでもないように思われていることも多い漆器と漆。工芸品として有名ではないだけで、漆の樹はどこにでもあると思っている方も多いのではないでしょうか。

実は、漆の樹はアジアでのみ栽培されているものなのです。歴史と共に歩み続けてきた漆はまさに、アジアの文化の骨組みそのものであると言っても過言ではありません。

樹木としての漆

日本で9,000年以上前から使用されている「漆」。そして、時に“Japan”とも呼ばれる「漆器」。9,000年前と言えば、日本ではまだ縄文時代。

漆の木片だけで言うならおよそ12,000年前のものが見つかっていることからも、古くから使われてきた伝統的なものであると言えます。

漆の樹は日本をはじめ、中国、朝鮮半島で古くから栽培されている落葉樹です。樹の幹を引っ搔くと出てくる樹液は加工されて、塗料としてだけでなく、接着剤としても使用してきました。

耐熱・耐湿・抗菌・防腐に加えて、独特の光沢を得られる漆は、ただ美しいだけではなく、実用的だからこそ長く使われてきたのです。

漆は文化を培うために必要不可欠な存在

漆は文化を培うために必要不可欠な存在

漆の耐久性は素晴らしいもので、漆が付着している8世紀の「漆紙文書」が読める形で現存しています。

京漆器に代表される、綺麗な蒔絵細工の漆器たち。金継ぎされて蘇った陶磁器たち。古い時代のものも多く残されていますが、これらも全て、漆なくしては存在し得ない工芸品です。

漆の樹は中国から渡来した植物であると言われていますが、日本に元々自生していたという説もあります。どちらにせよ、アジアの伝統文化において重要な存在であることに間違いはありません。

漆工芸家として名高い六角紫水も

“塗料工芸は、実に東洋においてのみ発展した純然たる東洋独特の工芸であって欧米諸国に向かって一大異彩を放っている”と1928年に『漆工史』で述べるように、私たちが普段当たり前のように目にする漆塗りの木工品は、西洋では発達することのなかった独自のものでもあるのです。

古代の漆器

古代の漆器

縄文時代では石器を接着するために漆を用い、矢を作っていました。後期になれば、木製の櫛を漆で塗ったものが出土しています。また、割れた土器の修復に使った跡も残されており、現代の金継ぎに通じる使い方をしていたことが分かります。

手工芸の技術が洗練されていくのと同時に、漆もあらゆるものに塗布され、結果として今に残る数多くの文化財を彩り、守ってきました。

例えば、飛鳥時代を代表する国宝「玉虫厨子」。細かい細工が見事に残る玉虫厨子は、全面が漆で塗られています。だからこそ、1200年以上も前の姿が現在まで残っているのです。

豪華絢爛な装飾が生まれた

奈良時代になると中国・朝鮮半島との交流が盛んになったこともあり、漆の基本的な技術は出揃いますが、さらに発展を見せるのが平安時代です。麗しい蒔絵や螺鈿の技法が完成したのも、平安時代でした。

「片輪車蒔絵螺鈿手箱」に代表されるこの技法、は貴族たちに愛され数多くの名品がこの奈良時代に生まれました。

ですが工芸品だけではなく、建築物にも蒔絵は使用されます。最も有名なのは、世界遺産にもなった「中尊寺金色堂」です。平安時代末期に建造された中尊寺金色堂は、全体が蒔絵、螺鈿、厚い金箔で覆われた漆技法の集大成と呼べるものです。

貴族のものから大衆のものへ

鎌倉・室町時代に入ると、漆器は貴族だけではなく、武士をはじめとする人々にも徐々に普及していくようになります。僧侶らが普段使いの器に漆を塗ったと言われる「根来塗」などが特に有名です。

更に時代が下り安土桃山時代に入ると、輸出向けの南蛮漆器と呼ばれる工芸品が生産されるようになり、洋櫃や聖書台などが数多く作られるようになりました。特に蒔絵は珍重され、螺鈿と共に華やかな文様を描き出す道具が国外で人気を博しました。

江戸時代に花開いた漆器の世界

漆器の一般化という点において最も注目しなくてはならないのは、やはり江戸時代でしょう。幕藩体制の元で各地に生産が伝播し、漆器市場も大きな広がりを見せます。漆塗りの箸や椀が町民の間にも普及することになりました。

勿論、需要の増大に伴って漆の植栽も盛んになりました。
「四木三草」と呼ばれる作物を、商業的作物として各藩が奨励するようになりますが、「四木」とは桑、茶、楮と、漆の樹を示しています。

この漆樹の植栽は、会津藩をはじめ東北では特に重視されました。漆からは木蝋が取れるため、蝋燭やびんつけ油の材料にもなったからです。米沢藩の100万本の漆樹植栽計画が示すように、江戸時代においてもは重要な植物であったことが分かります。

日本を代表する工芸品、「漆器」

明治維新以降、蒔絵はウィーン万博などの博覧会に出展されるようになり、世界で漆器や蒔絵の素晴らしさを広く認められ、いくつもの賞を受賞するなどして輸出のニーズはますます高まりました。一方で西洋文化礼賛の風を受け、国内では一時的に需要が落ち込みます。ですが次第に持ち直し、後にはインクや車など、新しい物にも漆が積極的に利用されるようになりました。

現代こそ、漆器の良さを

明治以降も私たちの生活と共にあり続ける漆ですが、現在は値段の高騰からプラスチック製の食器や安い輸入品に押され、段々と高級品、美術品として扱われることも多くなりました。

ですが、「良いものを長く使う」という古くからの価値観が見直される今、改めて漆器の素晴らしさが注目されています。日本人だからこそ、漆の良さを見つめ直し、使っていくことができると素敵ですよね。

次の9000年も続くように

日本のみならず、アジアの文化を支え続け、世界中から愛される存在にもなった漆器。
漆器に欠かせない「漆」ですが、国産の漆は需要の1%ほどしか満たすことができないという問題も抱えた存在です。国内で用いられる漆のほとんどは、国外の輸入に頼っているのが現状です。
次の9000年も漆の伝統が続くように、漆樹を、そして漆の文化を後世に伝えていきたいですね。

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